「こと」和「もの」的区别
「ことだ」与「ものだ」是日语考试语法部分的必考要点,大家一定要好好去注意。这两者间有很多相似的表达形式,这也让很多人混淆。在用法上更是容易让人产生迷惑,今天就来一起学习一下「ことだ」和「ものだ」的区别吧!
こと
ことか多么啊!
前面常会出现どんなに/なんと
この間、どんなに会いたかったことか。
这段时间我是多么想见你啊!
ことから因为(强调)
人と人とのコミュニケーションをはかることから、お互いの信頼関係が築かれる。要寻求人与人之间的交流,才能建立彼此信赖的关系。
ことだ应该
自分に同情するな自分に同情するのは下劣な人间のやることだ。
不要同情自己,同情自己,是卑鄙之人的所为。
人+ことだから正因为(某人)才
時間に正確な彼女のことだから、もうすぐ来ますよ。
因为她一贯都很守时,所以很快就会赶到的。
ことなく不…就…=ないで=ずに
何も理解することなく、できるわけがないだろ。
什么都不理解就不能做到吧。
ことに令人…的是
うれしいことに、十年ぶりの友にあった。
令人高兴的是遇到了十年不见的朋友。
ことになっている规定
日本では車は左側を走ることになっている。
日本规定车辆靠左行驶。
ことはない不必,不曾
动词原形直接加,一般表示没必要做某事,偶尔也会表示“不会”;た型+ことはない表示“不曾”
行くことはない。
不必去。
行ったことはない。
不曾去到。
雨が降ることはない。
不会下雨。
もの
ものか=もんか怎么能?!(反问)
どこにこのような人がいるものか。
哪儿有这样的人呢?!
ものがある有值得…的方面,确实
この絵には、評判するものがある。
这幅画确实有值得评价的地方。
ものだ感叹,常理
時の流れは早すぎものだわ。
时光流逝的太快了。
日が東の方から昇るものです。
太阳从东方升起。
ものだから正因为(辩解)
あまり悲しかったものだか、泣いてしまった。
正因为太悲伤才哭泣。
ものではない=べきではない不该
兄だから、弟を虐めるものではない。
哥哥不应该欺负弟弟。
ものなら如果能
行けるものなら行きたいんですが。
如果能去的话,真想去。
ものの=が虽然但是
免許はとったものの、車が買えない。
虽然拿了驾照但没买车。
总结
表示感叹
「ことだ」和「ものだ」在表示感叹时,两者都可使用。但是用「ものだ」的形式,表示一般意义上的感叹,此时一般不能用「ことだ」代替。而「ことだ」则表示就事论事的感叹,一般用句型“なんと(或なんて、どんなに)……ことだろう(或ことか)”此时也一般不能用「ものだ」代替。
例 一
赤ちゃんは可愛いものだ(×ことだ)ねえ(婴儿啊,那真可爱)。表示对所有婴儿而言;この赤ちゃんはなんと可愛いことだ(×ものだ)、まるでお人形さんみたい。(这婴儿多可爱啊,就好象布娃娃似的),是就事论事的感叹,就对眼前的婴儿而言是可爱的。
表示忠告
在表示忠告时两者都可用,意思差不多,都可译为“应该……”,但用法有区别。「ものだ」表示社会道德常识,人人都应该遵守的规范,表示大道理;而「ことだ」则表示就事论事,不属于大道理。
例 二
先生に会ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。(见到老师你应该打招呼。)对所有老师都应这样,属于礼貌常识,应该做的;張先生に会ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。(见到张老师你应该打招呼。)打招呼只适用于张老师,对其他老师可以不用打,表示就事论事。
表示一般认同
「ものだ」可以表示人们的一般认同,译为“总是……,难免……,本来就是……”,但是「ことだ」没有这种用法。
例 三
良薬は口に苦いものだ。
良药苦口
人間は死ぬものだ。
总是要死的。
表示对往事的缅怀、回忆
「ものだ」接在动词过去时后,表示对往事的缅怀、回忆,而「ことだ」没有这种用法。
例 四
子どもの時、よくこの川で泳いだものだ(×ことだ)。
小时候,我经常在这条河里游泳来着。
表示强烈的愿望
「ものだ」接在愿望助词「たい、ほしい」后表示强烈的愿望,「ことだ」没有该用法。
例 五
小さい時に戻りたいものだ(×ことだ)。
真想回到小时候。
弄清楚「ことだ」和「ものだ」相同意思的不同用法及「ものだ」独有的用法之后,同学们在遇到两者同时出现时就不会感到头疼了。